台湾総統府(写真はWikipediaからの引用です。)
台湾は日清戦争の結果、今の中国から日本に割譲された1895年から第二次世界大戦の結果中華民国に編入される1945年までの間、日本の領土でした。
この間に日本から台湾に移住した人達が大勢いました。
そして台湾で生まれ、育って、終戦と同時に日本に引き揚げて来た人達が20万人いたそうで、湾生と呼ばれています。
故郷が今は異国である湾生と言う人達です。
そしてトシの父親は台湾で生まれ育った湾生なのです。
生まれたのは宜蘭と言うところですが、生まれて直ぐに台北に転居したとのことで、宜蘭での記憶は何も無いそうです。
トシの今回の訪台も宜蘭は外し、台北のみとしました。
また、チャンスがあれば宜蘭にも行きたいと思います。
台北は日本統治時代の街並みがそのまま残っている場所も多いのですが、父が当時住んでいた台北の東門町267-1(当時の住所)は当時の東門町までは分かったのですが番地までは当時の地図にも記載されてなく、場所の特定は出来ませんでした。
父は当時の錦小学校(現:龍安国民小学校)に通っていたそうです。
土曜日だったので門は閉ざされていましたが、当時の校舎も残っているそうです。
そして中学校は現:台湾師範学校付属高級中学校
こちらも門は閉ざされていましたが立派な中学校でした。
台北帝国大学予科
予科の授業は士林の校舎と台北帝大の中にある予科の校舎の双方で行われたそうですが、士林の予科校舎は現在、国防部軍事情報局の施設となっており、立ち入りが禁止されているエリアとなっているため、今回は立ち寄りませんでした。
台北帝国大学(現:台湾国立大学)
広いキャンパスに当時のまま残っている校舎もあるようです。
予科の校舎も当時のまま残っているそうなのですが、探し当てることは出来ませんでした。
キャンパスのメイン道路は当時の椰子の並木道がそのまま残っています。
新学期で新入生の歓迎際が開催されていて、クラブの勧誘等のテントがずらりと並んでいました。
終戦で卒業は叶わなかった父ですが、今トシが立っているこの場所を父が歩いていたのかと思うとなんだか不思議な感覚です。
祖父は台湾で学校の教師をしていたと言う話を父から訪台前に聞き、見てみたいと思い、探し当てました。
まずは十份小学校です。
今も健在です。
学校の前に85歳だと言う女性が二人いたので、少し話を聞かせて頂きました。
この小学校は100年以上前からこの場所にあるそうで、お二人ともこの小学校を卒業したとの事でした。
この学校は日本人の学校では無く台湾人の小学校でしたが、日本語教育を行っていたので祖父のような日本人教師が居たとのことでした。
おそらく、祖父が教えていた頃、在学していたと思われますが、祖父の名前には覚えが無いようでした。
お二人とも日本語は随分使わなくなって片言の日本語でしたが、中国語の教育も受けていないので中国語も片言でした。
どうも、昔からの台湾語で生活をしているようでした。
もう1カ所、祖父が教師をしていたという松山小学校です。
父の話ではもう無くなっているかも知れないとの事でしたが、Google地図で調べるとちゃんとありました。
この学校もかなりの歴史を誇る小学校で、おそらく祖父が教えていた学校だと思われます。
1日観光をした後に寄る予定だったのですが、1日の観光疲れと予定がかなり遅れて松山に着いたのが遅い時間になってしまって真っ暗でした。
後で、地図を確認するとおそらく学校の前を通ったと思われますが、疲れに負けて忘れてしまっていました。
台湾で当時の戸籍を保存していると言う情報を頂き、父の家族が当時住んでいた場所を管轄する台北市中正区公所へ行ってきました。
受付で整理番号表を受け取り順番を待っていると15分ほどで呼ばれました。
窓口で父の氏名、生年月日と叔父(父の兄)の氏名、祖父の氏名、当時の住所を言うと、なんと探し当ててくれました。
ただ、私の事前の調査不足で戸籍の写しを受領するには私と父の関係を証明する書類が必要だったのです。
台北市中正区公所を訪問したのが帰国前日で9月18日、敬老の日で日本は役所もお休み。
訪台直後に行っていれば弟に取り寄せて貰い、FAXで受け取ることが出来たので、ちょっと後悔しています。
本来は私と父の関係を証明する書類が無ければ見せても貰えない様なのですが、窓口の方がコッソリ出力して見せてくれました。
祖母も含め父の家族4名の名前がハッキリ記載されていました。
祖父の職業まで記載されていたのには驚きました。
窓口の方に感謝です。
台湾総統府の写真は撮影してこなかったのでWikipediaからの引用です。
帰国後、父に報告をした際に祖父は教師を辞めた後、台湾総督府文教局(現:台湾総統府)で仕事をしていた事を教えてくれました。
訪台前に教えてくれれば総統府も観光コースに含めたのですが帰国後に教えられたので、行ってきませんでした。
また、祖母は父が12歳の時に他界したのですが、祖母の通ってた学校も総統府の近くにあると帰国後に聞かされました。
祖母は台湾で生まれ台湾の地で亡くなったので祖母の通った学校は見たかったですが、仕方ありません。
次のチャンスに見てきたいと思います。
今回の訪台は父の生まれ育った台湾を見てみたいと言う想いから自分のルーツを自分なりに探してみようと思い立った旅行でした。
最後に今回のルーツ探しに貴重な情報を頂いた「ふくうめちゃん」さんと「ライター高橋」さんに感謝の意を表したいと思います。
本当にありがとうございました。
「ふくうめちゃん」さんのブログはこちらです。
「ライター高橋」さんの連載エッセイはこちらです。
次回は「台湾旅行記 2日目」レンタカーを1日借りて十份、九份、北海岸方面の旅をアップする予定です。